小麦抜き生活

災害等の危機的状況に弱いグルテンフリー

9月にワシントンD.C.への米国旅行へと行って来たのですが、ちょうど今回の渡米へのタイミングで出発時は台風。
成田空港が閉鎖されるという状況の中にありました。
グルテンフリー生活を続けて行く中で、初めてデメリットを感じた状況をシェアしたいと思います。

成田空港周辺のホテルでは浸水

全国的なニュースにもなっていましたのでご存知の方も多いとは思いますが、台風の影響を受けて成田空港周辺は大変な被害を受けていました。
私は、台風が来ることと子供連れで搭乗する予定であったため念のために成田空港周辺で前泊をすることにしました。
成田空港までは成田エクスプレスも通常通り運航しており、時間通りに成田空港近くのホテルまでたどり着くことができました。
夕方からどんどんと雨、風は激しくなり、深夜には窓をたたく風と雨の音が激しさを増してきました。

そして、明け方近くの4時頃。

浸水するホテルの窓

窓から激しい雨の音が聞こえ続けるのに目覚めて窓際に寄ってみると、窓枠が水浸しに。
成田空港近くであるため2重窓、さらに開けることができない窓。であったにも関わらず、どんどんと窓の上部から雨が浸水してくるのです。

日が昇り始めるころには部屋の半分くらいが浸水。
とにかく急いで荷物を窓際から離し、子供たちをベッドの上へと非難させるのが精一杯の状況でした。

激しく打ち付ける雨と風、ホテルの浸水騒ぎで、ほとんど眠れない夜を過ごしたのでした。

フライトは欠航になり成田空港泊

翌日の朝の内は風が強かったものの、だんだんと晴れ間が見え始め、台風も北上して千葉を離れているということでしたので、無事に飛べるかなという思いから空港に向かいました。

始めての成田空港は想像以上に人が少なく、お店もほとんど空いていません。

「朝が早いからかな。。」と思っていたのは間違いで、多くの人が成田空港にたどり着くことができない状態だったのです。

それは、私たちが乗る予定だった飛行機の乗務員さんも例外ではありませんでした。

11時発のANAワシントン行きのフライトは、お昼を過ぎても搭乗の案内が無く、
「次は14時頃にご案内予定です。」というような、フライトが確定しないアナウンスが流れ続け、遂には夜になって

「フライトは欠航となりました」というアナウンスと共に、欠航証明の配布と再入国の案内が始まったのでした。

空港を再入国したのは23時

次のフライトの調整、交渉などもあり、搭乗口から一度日本を出国した私たちが再入国の手続きを終えて、成田空港の出発ロビーに戻ったのは夜中の23時頃。

その頃には、成田空港は人で溢れかえっていました。

成田空港「足止め」なぜ回復に時間を要したか

成田空港からの電車、バスはほぼすべてがストップ。高速バスの一部が動いていましたが満席。
空港内の店舗はすべて閉まっていて、飲食店はもちろんのこと、コンビニエンスストアも営業していない状態。自動販売機はすべて売り切れ。

食べるモノが何も手に入らない状態でした。
当然ながら周辺のホテルはすべて満室。

後から知ったニュースの情報では「その日は13,000人が成田空港で夜を過ごした」ということでしたので、ホテルも空いてなくて当然でした。

寝袋、水、クラッカーが配布される

成田空港のロビーで宿泊する覚悟を決め、一緒にいた仲間と寝る場所を確保し、トランクに入っている洋服等からどうやって寝たらいいものかと思案している時に

「成田空港よりお知らせします。寝袋、水、クラッカーを配布いたします。」

というアナウンスが流れ、皆が一斉に動き始めました。
私も、一緒に連れいた子供たちの寝袋を確保するために列に並びます。

無料で配布してもらえましたが、行列の長さはスゴイもので、早い列に並べても30分以上はかかったように思います。

ようやく手に入れた寝袋。
これは非常にありがたかったです。

固い床の上で寝るのは非常に辛かったですが、寝袋があると無いとは大違い。
さらに、最初は暑かった空調が明け方になるにつれてどんどんと寒くなり、3時過ぎくらいからは寒くて寝袋に潜り込まないと耐えられないくらいでした。

そして、食料としていただいたクラッカー。
子供たちは喜んで食べていましたが、私はグルテンフリー生活を続けていたため食べることができませんでした。

グルテンを摂取するリスク

私自身、「小麦アレルギー」ではないので、上記のクラッカーを食べることは可能です。
実際、1年以上前までの私は小麦食品が大好きでした。

ところが、このブログでも書いているようにグルテンフリー生活を続けて現時点で1年4ヶ月。

小麦粉から作られるグルテンを摂取しない生活が定着化すると、グルテンを摂取したときにとてつもない腹痛を起こしてしまいます。
これは、グルテンフリーを始めて2ヶ月後くらいに起こった出来事でした。

その後も、間違って少量のグルテンを摂取してしまった後には、決まって腹痛。
そしてひどい時には苦しみと共に下痢が続く状態でした。

ですので、成田空港の床で寝袋を配布され、野宿のような状態で宿泊をしないといけない。
そんな状況下で、グルテンを摂取してしまうと、空腹の苦しみ以上に大変なことになってしまうリスクがあったのです。

非常用のコメで凌ぐ

偶然にも「アメリカで日本食が恋しくなるかも」と荷物に入れておいたお米が役に立ちました。
旅行用のトランクを買った際にイオンで買っていたお米。
水かお湯を入れるだけで、ふんわりご飯ができるという優れものです。

正直、味に期待は持っていなかったので、荷物に入れたものの

「こんなん、食べるかな~」

と内心では思っていたのですが、成田空港では助けられました。
成田空港から配布された「ペットボトルの水」を使い、ご飯を作ります。

水の場合、できあがりまでには1時間かかります。

この時間は、正直想定外でしたが、子供たちをトイレに連れて行ったり、寝床を作ったりと忙しくしている内にお米もできあがり、なんとか空腹を満たすことができました。

翌日からは通常営業の成田空港

13,000人が泊ったという成田空港は人で溢れかえっていました。

成田空港に向かう路線も多くは普及して、成田空港の従業員さんたちも出勤されてきていました。
特に飲食店は朝から通常営業をしてくれていましたので、どの店もすごい行列でした9時頃になると並ばなくても食べられる店も出始め、なんとか子供たちを連れて食事をすることができたのでした。

危機的状況に弱いグルテンフリー

私の今までの人生は幸いなことに大きな災害に会うこともなく、災害時に避難所に避難をしなければならない。という状況を経験することがありませんでした。
今までに避難所を利用され、食事が制限される中で生活をした経験がある方もいらっしゃるとは思いますが、食べるモノが制限された状況下ではグルテンフリーを続けることは非常に難しいなと感じたのでした。

さらに、グルテンフリーを続けてきたことで私自身はグルテンを受け付けない身体になっています。
歩けなくなるほどの腹痛と共に意識が朦朧とし、下痢になる。

そんな状況が避難所のような制限された環境下で起こったなら?

そう考えると、グルテンフリーは危機的状況に弱いかもしれないなと思いました。

自分らしく生きるために

私が、私自身の人生をより良く、自分らしく生きるための一つの選択肢として「グルテンフリー」を選んでいます。

確かに大変なこともあり、食べるモノが制限され、ある意味では欲求を抑えなければならない場面もありました。
そんな状況をグルテンフリーを継続し、乗り越えて行くことで今の自分があるとも言えます。

何が正解なのかは分かりません。
でも、日常正解の中で私がわたしらしく、自分らしく生きていくためにはグルテンフリーを続けていきたいなと思っています。

もしも、今回の成田空港のような状況がまたきたら、その時にはその場での自分らしい生き方を考えてみたいと思ったのでした。